星のあびぃ

18歳。

生奴隷

 

 

 

 

最後に鼻歌を歌ったのはいつだろうと考えてゾッとした

もうしばらく心を浮つかせたことがない

 

 

 

 

 

 

 

↑これかっこいい

 

 

 

 

 

 

 

 

9月いっぱいは丸々お休みをいただいて(母親の提案であり強制)10月の3日から登校復帰をしました。

 

漠然と、10月からは休まず登校すると勘違いしていた(実際そうしなければいけなかった)父親は、10月2日の月曜日に、結局学校へ行けなかった私へ怒鳴りました。もう我慢の限界だと。

 

私だって無論、学校へ行くつもりだった。

10月からは行かないと本格的に単位が足りなくなって卒業できなくなってしまう、10月からきちんと復帰するための心のゆとりのためにも、9月いっぱい休むという大きな決断もしたのに。

 

6月から学校へ行っていなかった約4ヶ月のブランクの壁は計り知れない程大きく、心構えをしていようが、身体を動かすのは容易ではありませんでした。

 

この頃から時々、朝になると、目に見えない何かに襲われてしまいそうな漠然とした恐怖感に苛まれて、呼吸が浅くなりうまく意識を保てない状態に陥ることがありました。

でも側から見たらただ眠くて駄々を捏ねているように見えてしまうのかもしれません。

 

母は朝から耳をつんざく声で私を無理やり起こしに来ます。それがありがたいことであるのは当然として分かっていても、パニック状態の私には地獄そのものでした。

からしたら、学校へ行かせないといけないという焦り、何度も起こしにきてやっているのに疼くまってまともに返事もしない娘に苛立ちを覚えていたことでしょう。

 

学校へ行けなかった3日の夜、仕事から帰ってきた父親は、ぐったりした様子で部屋着のままリビングへ降りてきた私を見て、暗い顔立ちになりました。

ダイニングテーブルを挟み、向かい合って座った後、私は父と母から豪雨の如く言葉の雨を浴びせられました。

 

その日までは、学校に行けない私に父はとても優しく接してくれていました。時には体調を伺うような発言もありました。

 

ですが、その日学校に行かなかった私に、とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、「もうお前にはこれ以上優しい言葉をかけることはできない」と言い放たれました。

 

高校もまともに通えないんだったら、もう好きにしたらいい。

どうせ他の手段を与えてもできないんだろう?

中卒だろうとなんだっていい、勝手にしろ。

親の金を無駄にして…

 

とかなり高圧的で呆れ返った冷たい発言を振り翳す父親に、私は久しぶりに恐怖を覚えて過呼吸になりました。

 

既に過呼吸の酸欠状態で半分意識のない私に、父はずっと何か私に言い続けていました(内容は覚えていませんが、母が仲介に入ってきたのは覚えています)

 

手足が痙攣したせいで変形したまま固まって、異常に冷え切っていました。呼吸が落ち着いた頃には父はとうにいなくなっていて、それから数日間は口をきかないどころか、まるで私がいないかのように接してきました。

 

家族ってなんなんだろうと改めて考えては、自分がちゃんと学校に通えていたら、今頃平和に暮らせていたのかもしれないという結論に至るだけでした。

 

 

その日から現在まで、私は家族とまともに会話することができていません。

話したくないとかではなく、単純に家族を前にすると口籠ってしまうようになりました。

 

家族の前になると、借りてきた猫よりも大人しく縮こまってしまって、世界中のどんな場所よりも酸素の薄い場所が、「家庭」になり、

拒否反応とパニックが拭えないまま、休まらない家と学校を往復する人生に切り替わりました。

 

 

両親に怒られたその次の日から私は覚悟を決めて(というか決めなければ追い出されると思った恐怖心から)学校へ登校しました。

こんな家にいるくらいなら学校の方がマシだと思え、無事に登校できたので親には感謝ですね^_^

 

久しぶりの学校は緊張しすぎて常に吐き気と頭痛を併せていましたが、みんなに優しく受け入れられてとても安心しました。

 

復帰することはできたものの、以前と比べて刺激に対する耐性がかなり落ちているようで、大人数の場所や移動のタイミングになると心臓が飛び散るように慌てて苦しくなるようになりました。

体育の着替えのため教室に入ろうと中を見て、たくさんの女子生徒がぎゅうぎゅうにいるのをみてつい保健室まで走って逃げたりしていました←滑稽

 

病気にも程がありすぎる!生活への支障がデカすぎる!と帰りのバスで落ち込むルーティンが続き、覚悟もそぞろ、遅刻や時には欠席もちょくちょく挟みながらの今日日。

 

 

 

書くの飽きた、簡単に言うと

マラ大の日に寝込んで行けなかった→体育の単位が終了(4時間分の欠席扱いになったため)

卒業不可能になり、母親にも電話連絡される

父はまた無視してくるようになり、母はさらに口うるさく私を統制しようとしてくるようになる

 

 

えーん助けて、自業自得だけど

家族仲がめちゃくちゃになっても結局うまく自分の心をコントロールできなくて、でもそれに気づいてくれている大人は誰1人いなくて(怠惰か劣勢人間としか思われていない)

今の状況を説明するHPもなく、家庭内で大きなすれ違いが起きたままになってます。

 

とにかく心を落ち着ける場所が欲しいという欲求から最近は(以下略)

本物の愛とは一体どこにあるんですかネ

 

もうみんなに顔向けできないし線路に飛び込もうと何度も思ったけどやっぱりムズカシイ、所詮snsで暴れる程度のことしかできない(*´ー`*)

 

自分の人生がどうオワコンになろうが、特になりたいイメージも意欲もないので構わないのですが、まだ私に愛着を待ってくれている人の顔に泥を塗るようなことはしたくなくて、でもどうしたらいいのわからない状況です。

とにかく来週からは学校にまた行かなくてはいけないのかな、そうすれば親も先生も機嫌が直りますかね?

周りの機嫌が1番よくなる方法しか自分に適用してないから幸福度が下がるのかな?でもみんなが不機嫌なのが1番嫌だからこうするしかないよね(*´ー`*)

躁鬱すぎてみんなのこと振り回してばかりで、いっそのことみんなの前から消えたい気もするけどどうですか?みんなは優しいから多分怒るよね、その優しさで私はなんとか首を繋げている気がする

過食と拒食を繰り返していて食事の時間が苦痛の最近だけど、好きな人とたべる三角チョコパイは案外おいしくて、そういう小さな幸せで人生を紡いで行きたいなと思いました。おしまい。

みんなありがとう。死なない。

 

 

 

18歳女子高生、自戒。

 

こんにちは。

死ぬ前に人生を振り返ります。

 

私の人生はいつであろうと失敗と後悔と鬱で構成されていますが、2023年になってからは特にこれらが満載の人生です。最高です。

なんでこんな最高になっちゃったのか、心の整理のためにも振り返ってみます。

私自身、自分のことがわかってなさすぎると常々思うので、これからの人生、そして余生に期待するためにも自戒していきたいと思います。

 

 

 

 

人生を最初っから振り返ると、長すぎてその間に寿命が尽きると思ったので、ここ最近から振り返ります。

 

 

2021年4月、高校に入学

青春を謳歌しようと張り切って挑んだものの、持ち前のコミュ障と不甲斐なさで落ちぶれる。

キャピキャピした人生は挫折しました。

 

クラスで唯一話せた友達に突然無視されるようになり、3学期からボチリスト登録しました(ぼっちになる)

 

友達がもともとできにくいため、ボチリストはまだ慣れていたものの、突然無視といういじめっぽい感じのは割と初だったので心にだいぶ分厚い扉が設置されました。

もうこの高校は無理だ。華々しい人生なんて送れない。カス。と思って休みつつも惰性でなんとか過ごしました。

 

また、何を見誤ったか運動音痴のくせに硬式テニス部に入ってしまい、そこで別クラスの気の合う素敵な友達と出会っていました。

 

ですが、灼熱地獄と筋力命のテニスについていけず、一年の冬から不参加になりました。ごめんなさい。

 

高1の時点で、まず自分は日陰者であることを戒めました。

明るくて人生楽しそうな子が羨ましい。

ひっそりと楽しむだけなんて、と中学の頃と変わらないポジションに劣等感を抱きつつも、半分諦めでいました。

 

 

そして迎えた高校2年生、

最初はしんだものの、素敵な友達4人と仲良くさせていただきました土下座

 

私の人生上、1人か2人のイツメンしか作れなかったので、ここで初めて「グループ」というものに所属しました。(多分)

 

クラスの雰囲気も良く、高校独特のカーストの溝でギスつくこともない平和な空間でした。

 

一年生の頃は退屈だった授業も学校行事も、素敵な友達と過ごすとこんなに楽しいものなんだ、とまるで景色が変わりました。

去年に抱いていた劣等感も薄くなっていき、「こっち側」からの脱却か!?と浮かれるほどでした。

また、人生初の彼氏もできました。

 

その要素達全てが私を覆い尽くす日々で、正直今からしたら、本当に恵まれていたなと思いました。

2年生の頃の写真フォルダは今でもずっとキラキラしていて、見返すだけで涙が出ます。

 

しかし、恋愛による情緒の不安定と、友達に恵まれていながらも拭いきれない謎の孤独の感情(?)で度々気分が落ち、学校を休んだり遅刻をしたりがかなり増えました。

 

こんなにも環境がよかったのにどうして、と思うけれど、逆にこんなに環境が良かったからこそ、ストレスへの耐久値が低くなってしまったり、理想が高くなっていたのかなと推測しています。

あと、これは後々気づきましたが、私は恋愛は向いていませんでした。

 

 

 

ハロー絶望!2023年になりました。

 

 

気温が下がるにつれて私の情緒も下振れが続いており、恋愛はあまり上手くいってなかった気がします。

 

感情がコントロールできず、自分で自分に振り回されて、そして他人を振り回してばかりの日々でした。

無駄に心配と迷惑をかけてしまっている自分への嫌悪も増え初め、情緒の下振れは勢いを増すばかりだったと思います。

 

 

そのまま3月を迎え、2年生は終わり、

 

恋愛も幕を閉じました。

 

 

 

 

 

新クラスが発表され、かつての友達とはバラバラ。

 

仲良くなれそうな子、いる?

 

 

「無理だな」と悟りました。

 

 

 

 

 

惰性で通います。1ヶ月、2ヶ月、

 

 

元々の休み癖や遅刻癖が、日に日に強くなり、歯止めが効かなくなりました。

 

休みを悲しむ人も、遅刻を咎める人も、あまり周りにいない環境になったから、というのがさらに拍車をかけていきました。

 

移動や授業も1人でいることが多くなりました。一年生の最後もそうだったのに、平気なはずなのに、なぜか今は平気ではいられませんでした。

1年間素敵な友達といたからですかね?

 

またあの頃のように、周りと自分を見比べて、劣等感でいっぱいになりました。くだらないね。

誰も私を見ていないのに、見られてるような気がして、見て笑われてるような気がしました。今まではそんなことはあまりなかったのに、です。

 

あきらかに自分の心が、感受性がおかしくなっているな、と気づき始めました。

 

気づいてからはもうはやいです。休みます。休みまくります。

もう無理だ!って決断してからは早かったです。

 

学校に行かなくなったのは、6月の中旬以降でした。

ずっと「明日こそは行こう」精神で、結局行かずの繰り返しで1学期を終えました。

 

 

私の中で「学校はひどく辛いところ」という烙印が再び押され、それに打ち勝つ元気が出せずにいる、という表現が1番しっくり来ると思います。

 

私は生まれてから、一度も幼稚園や学校が楽しいと思ったことはありません。

集団行動が苦手で、物心ついた頃から教育施設アンチとしてひっそり生きてきました。

 

でも唯一、高校2年生の1年間は

学校に行くのが苦ではない、人生初の年でした。

 

辛いことも共有できる友達や恋人がいて、なんだかんだ頑張れて充実していた、と胸を張って言えます。

 

だからこそ、その反動で、今が耐え難いものになっているような、気がします。

 

今日一日辛かったことや頑張ったことを、電話で聞いてくれる人ももういないのに、どうして1日を乗り切ろうと言うのだろうか…と文豪みたいな文言で人生を投げ出すことしか出来ませんでした。

 

一気に多くのものを失ったおかげで、心がバグったな〜と楽観的に自称する他ないです。

 

 

また、継続が苦手な私が唯一できる継続は「怠惰」であり、1ヶ月以上学校を休んだおかげで

1学期の成績表がほぼ白紙というTwitterでバズりそうなものまで錬成してしまいました。

証拠

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評定平均1.0。学年順位最下位。最高だね〜〜

 

といった感じで1学期は終わり、夏休みが始まりました。

 

 

成績のことや先生からの心配もあり、「2学期からは行く」という空気のように軽い覚悟を決めて、夏休みを過ごしました。

 

今までと違い、一日中家で寝ていても罪悪感の一つもない。

最初は快適だったものの、インスタで見るみんなのキラキラ充実した夏休みを見ていると、1人で家に引き篭もる自分が哀れに見えて、、

 

勉強をしておこうと机に座っても、少し経つと「なんのために勉強するのか?」という問いが頭の中を駆け巡り、

いてもたってもいられなくなりペンを置いて布団にダイブする日々を繰り返しました。

 

孤独の2文字に押しつぶされそうになって、

「この寂しさと現実を忘れさせてくれるなら、なんでもいい」

という血迷った思想に追い込まれました。

 

不摂生な生活にプラスして、頻繁に不健全な遊びに浸かる日々で、心も身体も慢性的に悪くなっていきました。

(売春など金銭の問題に絡まれなかったのはよかったです。)

 

満たされるのは一時的で、現状は良くなるどころか悪化する一方で、ますます自分が嫌になりました。

こんな私が未来で何かなりたいものがあるわけ、ないです。

 

 

 

劣等感も体調不良も歯止めが効かないまま、9月が近づきました。

 

学校が迫るストレスで、8月の終わり頃は特に体調が悪く、腹痛と倦怠感が常にあり、食欲不振でした。

もう気持ちでどうこうできる体調ではとっくになく、親ももう学校に関して強く言ってくることもなく、

 

行けたら、行こう。

 

とだけ考えて布団に入った8月31日の夜。

呼吸困難と激しい動悸で眠れず、朝になってようやく入眠しました。

 

目が覚めると時計は12時を指していて、さようなら復帰戦、さようなら2学期…と二度寝しました。

 

そうして家族の夕飯を作りながらブログを書いているのです。自戒自戒自戒の意識で書いていたのにただの人生ログになってしまいました。

 

ここまで書いて思いました。

いや、書く前から本当はもう分かっていました。

やっぱり自意識の問題でしかないなと感じます。

 

周りが私に悪いようにしてきた訳でもなく、ただただ私が周りの環境に依存して、変化に適応もできず、自身で這い上がる努力もできずに他力本願でいたから。

もっと適切に行動できれば、考えを改めることができたら、こんな事にならなかった、因果応報の結末と言えます。

自意識によって、物事を悪い方へ悪い方へと引いてしまったように思えます。

 

忍耐力の低さ、ストレスを溜める、依存体質、すぐ冷静さを欠く、重い自己嫌悪、、etc

生まれ持った私の性格を、上手く制御しコントロールする意識をもって行動できなかった私の敗北です。完全に。

 

自戒も何も、もう今の私の頭では「あきらめろ」の5文字しか浮かびませんごめんなさい。

こんな状況でも尚、己で考える事を諦め、他人に救済の手を差し伸べてもらおうとしてしまう愚かさに膝から崩れ落ちそうです^^

 

6月あたりから精神科に何度か行っているのですが、私にはあまり意味のないカウンセリングばかりで、しかも受診料がものすごく高い、、申し訳ない気持ちで消えたくなったのを覚えています。

親は私が何かの精神病なのでは、と診断してほしそうにしていました。ですが精神科からは特に病名などは出されず、睡眠補助や抗不安薬を出されるだけで、私は内心ほっとしました。

きっと何かの心的病気を患っていることくらい私が1番わかっています。病名を聞いたら私の人生がもっと具体的に「オワコン化」しそうなのであまり聞きたくないだけです。

今後これ以上悪化が見込まれる場合は、変わってくるかもしれませんが、、兎にも角にも現実逃避しか今の私にはできることがないです。

 

自戒をしようと書き起こしましたが、あまり上手くまとめられませんでした。

とりあえずわかったことは、私はもっと自意識から変えていく必要があるということです。そして他人に必要以上に依存と救済を望んでしまう事を、やめることです。

snsはしばらく控えめにして、もっと具体的な現実について、逃避せずに、向き合う時間を作ろうと思います。

学校は体調が落ち着いてから、考えます。

本当は落ち着いていられるほど時間がないのはわかってます。でももう正直今は体調が限界すぎて上手く考えられないです…

(最近は頭の中で力士がずっと四股を踏んでいる映像が流れてます)

 

力士がいなくなり次第、ですね。

もっと周りに迷惑をかけないように頑張りたいです。全然頑張れてないので、もっと成人としての自覚を持って、生きていきたいです…

 

迷惑をかけてしまっているみんな、本当にごめんね。

どうか私のことは忘れて、今は頑張ってもらいたいです。ちゃんと生きている人にとっては、今はすごく大事な時期だと思います。

 

 

ひどい頭痛の中書いたので文章くさゃくしゃですみません。幸せになりたいです。